しゃんぶろう通信

姫川みかげ です。ミステリやSFの感想など。

クリストファー・プリースト「魔法」(ハヤカワ文庫FT)


魔法 (ハヤカワ文庫FT)

魔法 (ハヤカワ文庫FT)

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爆弾テロに巻き込まれ、記憶を失った報道カメラマンのグレイ。彼のもとへ、かつての恋人を名乗るスーザンが訪ねてきた。彼女との再会をきっかけに、グレイは徐々に記憶を取り戻したかに思われたのだが……南仏とイギリスを舞台に展開するラブストーリーは、穏やかな幕開けから一転、読者の眼前にめくるめく驚愕の異世界を現出させる! 奇才プリーストが語り(=騙り)の技巧を遺憾なく発揮して描いた珠玉の幻想小説。(裏表紙紹介より)


「夢の文学館」版の「魔法」を2,500円も出して買って、読む前に文庫になって、結局文庫版も買ってそれを読んでるっていうのもかなりトホホだが、それはさておき…。*1


それにしても、ネタバレなしに何と感想の書きにくい作品よ…。爆弾テロによって記憶を失ったグレイと元恋人のスーザンが、保養所で何とかして失われた過去を取り戻そうとする章から、過去に遡って、グレイとスーザンが南仏行きの列車の中で出会って恋に落ち、その後、スーザンの恋人であるナイオールの問題が二人のあいだに深い溝をもたらしていく章まで読んで、確かに「記憶をなくした数週間に一体何があったのか?」といった謎によってぐいぐい読まされるものの「これのどこがファンタジー?」って不審に思って読んでたのも事実。


やがて、スーザンの秘密が明らかになり「なるほど、そういう話だったのか」ととりあえず納得するが、ここで終わったらただの普通のファンタジー。プリーストがただものでないのは、いくつもの相反する「事実」が章が変わるたびに次々と読者に提示され、一体どれが真実で、どれがグレイの歪められた記憶なのか、それともスーザンが捏造した作り話なのか、はたまた「そのどれでもない」真の「真実」が隠されているのかまるでわからず、読むうちにじわじわと幻惑され、現実と非現実の境界があいまいになり不安感がいや増していく点にある。そして、最後の最後で、いろいろ類推していた推理が想像をはるかに超える「事実」によって根底から覆され、「現実と非現実の境界」はついに崩壊し、何に心の拠り所を置いていいのかわからなくなってしまう。「今まで読んできたこの物語は一体なんだったのか?」…思わずそう問いかけたくなる作品だ。まさに、天下の奇書。


それにしても、最近は「ケルベロス第五の首」とか「アジアの岸辺」の表題作とか、こうした「アイデンティティの揺らぎ」をテーマにした作品ばかり読んでるような気がする…。

*1:安田ママさんは結局、手持ちの「夢の文学館」版の方を読めたのだろうか…?(笑)